It's "C" time!!

ちふむ めしはしかやが気ままにつぶやきます。

この殺伐とした世界で。(4月に思ったこと)

 随分殺伐とした世界になってしまった。もとからそういう傾向はあったけど、新型コロナウイルスで世界はより殺伐になってしまった。経済活動をしなければ生きていけないこの世界で、コロナに感染するか経済活動を止めるかの究極の2択を迫られている、そんな感覚に陥っている。

 

 コロナウイルスの状況は刻一刻と変化している。一日経つと状況が変わっている。「昨日の愚策は今日の英断、今日の真実は明日の嘘」。そんな風に今の状況を感じている。政府が決めた布マスクの配布は愚策かもしれない。しかしいざ配布されれば、時が経てば英断になるかもしれない。トランプ大統領はまだマスクをしていないが、それもいつまで続くか分からない。数日前までは、小池都知事は国民からあまり高く評価されていない方だと感じていたが、ここに来て一気に株を上げた様に感じている。

 

 誰が悪いと言われれば、誰もが悪い様に感じてしまう。情報を早く公開せず医師の警告を無視した中国政府、武漢から世界中のあちこちに移動した中国にいた人達、コロナウイルスを甘く見ていた一部の専門家、中国のみならずアジア全体への差別意識を出した欧米の人達、非常事態の際に強力なリーダーシップを発揮できていないWHO、自粛や休業を要請するのはいいが補償の具体的な対策が決められない日本政府、その政府を批判しつつも具体的な取り組みを伝えず不安を煽るマスコミ、なかなかコロナウイルス対策に本腰を上げず政権の足を引っ張ってばかりの野党、自分たちでできる対策は何かを考えずに政府や国民に丸投げする一部の自治体、自粛を言われたのにも関わらず不要不急の外出をする一部の国民、仕事の為の外出に理解を示さない一部の国民、デマに踊らされる世の中、そもそも人々が密閉・密集・密接して生活する事を前提として作られている社会、命とお金を運命共同体にしてしまった社会……いろんなものが悪いと感じてしまう。

 

 しかし、自分が今それらを批判しても、全てブーメランになって跳ね返って来る気がする。そういう政治家を選んだのは誰なのか。そういう社会を選んだのは誰なのか。自分は感染を防ぐ行動をしてきたのか。不要不急の外出を控えたのか。デマに加担しなかったか。あるいは自分が政府や国際機関等の責任者の立場として、果たして情報を正確に伝える事はできるのか。有効な対策はとれるのか。強力なリーダーシップを発揮できるのか……。それらに明確に答える事は、自分にはできない。

 

 どんな対策にもメリットとデメリットが存在している。それを検証して考える暇もなく「素早い」「正確な」決断が求められている。決断する際に「素早さ」と「正確さ」を両立させるのは難しいと考えている。正確さを求めるとその根拠を探すのに時間がかかってしまうからだ。それは、権限を持つ者の「宿命」なのかもしれない。

 

 この殺伐とした世界。自分自身の気の持ちようもどこに置けば分からなくなる。ただ、それでも思った事は書き続けたい。それによって、複雑化した自分の思考を一旦整理して気持ちを落ち着かせる事につながると信じている。究極の2択はどちらを選んでも無茶だが、「他人に迷惑をかけたくない」「コロナに感染したくない」という2点で、経済活動の一時停止はやむをえないと考えている。