It's "C" time!!

ちふむ めしはしかやが気ままにつぶやきます。

「公開説教」を受けて。(補足あり)

 先日、次の記事を投稿した。内容は、ナインティナイン岡村隆史さんのラジオ番組での発言に関するものだ。 

chifumu-m.hatenablog.com

  その後、岡村さんのラジオ番組において相方の矢部浩之さんが登場し、岡村さんに対して「公開説教」を行った。以下に自分が思った事を書きたい。

 


【風俗発言を謝罪】ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン 2020年04月30日 『矢部浩之が公開説教』

 

 自分は、Youtubeアーカイブを探し(本当は良くない事だと思うが)、例の放送を聞いた。矢部さんは今回の騒動について、岡村さんの過去のエピソード(10年前に「パッカーン」した事も含む)に触れながら、岡村さんの悪い部分の核心を突いた指摘をした。柔らかい口調で周囲に気を配りながらも、岡村さんに厳しい態度で臨んだ。48のおっさんが49のおっさんに対して、恥を晒した、叱った、そして背中を押した。これが叱咤激励なんだ、と感じた。

 自分が結婚できるかどうか、自分が結婚したいかどうかは別にして、「結婚した方が良い」タイプの人は必ずいて、矢部さんはきっと「結婚して良かった」タイプで、岡村さんも「結婚した方が良い」タイプなのかな、と思った。結婚する事で他者から指摘されやすくなって自分を客観的に見つめる機会が増えたり、異性と長時間一緒に過ごす事で異性や他者への理解がより深まって尊敬につながっていく。そんな働きがあるのかな、とも思った。

 ここでかばっても良かったかもしれない。あの失言の後でも、岡村さんを擁護する声はあった。ここで無視しても良かったかもしれない。岡村さんを見捨てるような声もあった。しかし矢部さんは、ぬるま湯につかる事も、逃げる事も拒否した。相方として、岡村さんに正々堂々と向き合った。相方にしか出来ない事を考え、何が岡村さんにとってベストなのかを考え、それを実行に移し、堂々とやり遂げた。それがあの「公開説教」ではないか、と感じた。

 岡村さんが今後どうなるのかは分からない。許す人は許すだろうし、許さない人は許さないだろう。それを他人が決める権限はない。世の中にはたった1度の過ちが許されない場面がある。たった1度の過ちでその世界から退場させられた人もいる。「1度の過ちくらい許すべきだ」「失敗しても真摯に反省している人は許すべきだ」と自分は思うけれど、もし自分の身近な人が過ちを犯した時に、自分が本当にその人を許せるかどうかは分からない。でも、矢部さんの様に叱ってくれる人がいるのはありがたい事だ。そして、岡村さんは愛されている。離れる人も沢山いるかもしれないが、残る人も多いはずだ。岡村さんは、いろんな人に恵まれているはずだ。

 今回、矢部さんが岡村さんを叱った事で、いろいろな所で岡村さんは救われたと思う。自分も身に染みる思いだったし、自分の闇をこじらせてしまうとああなってしまうとも思った、一方で自分も矢部さんに救われた気がする。岡村さんに対してモヤモヤした気持ちや悲しい気持ちがあったけれど、矢部さんの一喝によって、そういう気持ちが少しは晴れたのだ。また2人で活躍する姿を楽しみにしたい。ありがとう、やべっち―。

 

 補足:岡村さんのあの発言を聞いて「悪意」は感じていなかったが、番組の中で矢部さんが岡村さんを「天然」と評していて、「だから悪意を感じなかったのか」と納得した。ただし「悪意がない」というのは失態が許される要因ではない。むしろ「悪意がない」状態こそが厄介なのだ、とも考えている。