It's "C" time!!

ちふむ めしはしかやが気ままにつぶやきます。

勝手に決められるという感覚。

 「勝手に決められる」感覚がある―あらゆる所で。

 

 例えば選挙。自分が票を投じた訳ではない議員が当選する。もしその議員が失言や不正等をやらかせば「選んだ方も悪い」という声が出る。確かに「みんな」からは選ばれたのかもしれない。だが、「俺」が選んだ訳じゃない。いつの間にか、「勝手に」選ばれているのだ。

 

 俺は毎日ニュースを見る。様々な番組から時間帯に合わせて見る番組を選ぶ。ニュース番組では様々な出来事が報じられる。しかし、それらのニュースは本当に「俺」が望んだものだろうか。あくまでも、報道する側が「勝手に」ニュースを選び、報じているに過ぎないのだ。

 

 自分の人生だから、様々な事を自分で決めたいと考えている。しかし俺は、名前も性別も最初は選択できない。気が付けば性別と名前が決められた状態で人生が始まる。それどころか、生まれる年も親も選択できない。良い環境に恵まれるかどうかは「運」次第だ。ここも勝手に決められている。

 

 だが、性別も名前も「後から」なら自分で変更できる。ニュース番組は無数にあるから、地上波にこだわらなくてもよい。議員もよく見てみると、いろんな人がいる。選挙区によっては、第三、第四、第五の選択もできる。「自分で決める」道はある。

 

 「勝手に決められる」という感覚は間違っていない。一方で、自分で根気よく探せば「自分で決める」道も存在しているのだ。