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ちふむ めしはしかやが気ままにつぶやきます。

THE バカ論 ~これほどエネルギッシュな言葉はない@2019.6~

 過去のつぶやきの中に、バカ話が残っていたので、一部編集の上このブログでも取り上げる。2014年11月9日につぶやいた、バカバカしいお話だ。

 

 今日はあえて「バカ」に関するつぶやきから始めてみたい。題して「THE バカ論 ~これほどエネルギッシュな言葉はない~」

 Q:「バカ」とはどんな言葉 A:バカによって作られ、バカのように乱発され、バカバカバカにするために使われている言葉

 バカという言葉は非常に便利だ。まず、相手をたった2文字で攻撃できる。誰でも使える。それでいて、直前に罵倒する言葉を増やせる(「頭のおかしい」「手の付けようのない」)。攻撃対象も、自分を含めたあらゆる人に設定できる。攻撃の強弱も自由自在。何よりも、どんな場面でもどんな時でも使える。

 「バカ」と言われても、「お前もバカ」で反論できる。実際に例文を使ってみよう。バカバカにする人もバカバカバカにされる人もバカバカに対し傍観している人もバカ―これで、自ら高みの見物を決めつつ、それ以外の人間を全員バカにする事ができた。

 でも、ふと思うことがある。「バカ」の反対は何だろうか。そもそも「バカ」は悪いことなのだろうか。「バカ」は脱出できるのだろうか。

 「バカ」が「頭が悪い」としたら、その逆は「頭がいい」のだろう。では、「頭がいい」とはどんな人だろうか。テストで100点をとれる人か、みんなが思いつかなかったようなアイデアを生み出し社会に貢献する人か、はたまた複雑な理論を解く人か、それとも過去の事象から未来を見れる人か、それとも…。

 「頭がいい」というのは、実は社会の価値観によってコロコロ変わっているのではないか、と思う。現代もてはやされている歴史上の人物は、実は生きていたころは「ただのバカ」と言われていたかもしれない。あるいは、今「頭がいい」と言われている人が、将来は「バカ」と言われているかもしれない。

 バカ」というのは、実は人間の基本形のような気がする。基本形だけでは生活できない。あらゆる知識・知恵や経験など、いろいろなものを通して人間は生活に必要なものを獲得していく。それが「バカ」から脱出する方法だし、それができないから「バカ」と言われてしまうのだろう。

 ただ、「バカ」という言葉は今はバカみたいに乱発されているし、バカバカバカにするために使われているものが多いから、バカという言葉をバカみたいに使うのは考え物だ。バカバカしいし、バカみたいに思えるし()

 「バカ」という言葉ほど、エネルギッシュなものはない。反論したくなったり見返したくなったり、逆に相手をバカと言ってやりたくなったり。「webはバカと暇人のもの」といわれるけれども、そのバカがときどきものすごいホームランを放つ。それもまた、ネットの醍醐味の一つだ。

 結論:バカバカにはできない。(バカを連発したバカ並の感想)

 ところで、ここまでで自分は何回「バカ」を使ったのだろうか?